世界で最も危険な国・日本にて

2011年3月11日(金)午後2時46分

東北・関東太平洋側に南北500km・東西200kmにわたる大規模地殻変動による巨大な地震が発生。宮城、岩手、福島、茨城、首都圏にわたる広域で、巨大津波を主因として、16日現在で1万人以上〜2万人に達する死者が出つつあるという状況である。

 

さらに福島の第一原子力発電所で冷却装置不作動による炉心溶解(メルトダウンと容器亀裂、水素爆発)が生じたとされ、半径10〜30kmの範囲に避難と屋内待避命令が出され、今後に予断を許さないところに至っている。

 

この数日間で、巨大地震−巨大津波−原子炉崩壊が同時に起きることにより、日本は「世界で最も安全な国」から「世界で最も危険な国」へと一瞬のうちに暗転変貌を遂げたことになる。

 

 

いまのところ地震は地球表面をおおう異なった地殻プレートの相互噛み合いの限界越えによる破壊とされ、その危険性が従来ははるか西南の東海・東南海地域に想定されていたため、全くの「想定外」事態であったとされる。

 

また津波については地震発生時予測が高さ6〜10mとされていたところ、海岸から津波が内陸に進入する際、その高さと勢いがリアス式海岸の狭い開口部によって増幅され、さらに津波が海岸部の家屋残骸を呑み込みながら破壊力を増したため、海岸から3km以上離れた町でも瞬時にかつ徹底的に破壊されることになった。これも全くの「想定外」とされている。

 

原子力発電所もまた同様の「想定外」。直接には電力供給途絶によって冷却用ポンプが作動しなくなったことが契機とされるが、これを補償すべき緊急用ディーゼル発電機が3つの原子炉すべてで動かず、さらに最終補償手段とされた電力不使用の自然冷却システムも不作動となる。加えて圧力容器・格納容器の両方ないし一方にパイプシール不良が生じたこともあって、冷却水水位が低下することで燃料棒が露出して炉心溶融に至る。また格納容器を包み込む建屋内に水素が充満・引火して爆発。これが建屋の破壊のみならず格納容器の亀裂をも招き、放射性物質の外部拡散につながってしまう。膨大な核分裂エネルギーを制御すべき冷却システム、不拡散システムという原子炉のカナメの部分が、スリーマイルやチェルノブイリの教訓にもかかわらず、いとも簡単に破綻してしまったという事態と言えるだろう。

 

 

21世紀初頭「想定外」が頻発している

2001年9月11日のアメリカ・ワールドトレードセンターへの航空機突入を含む「同時多発テロ」は人為的な要因によるが、ワールドトレードセンターのツインビルの粉々の崩壊自体は、建築家の言葉によれば「想定外」とのことであった。

 

2009年9月のサブプライムローン破綻は、サブプライムローン設計者によれば「想定外」とのことである。
BSEの発生、ウィルスの変異による新型インフルエンザや抗生剤耐性菌の発生、考えてみれば「地球温暖化」にしても結果的に原因は「エネルギー浪費」であるとはいえ、人類にとっては「想定外」の事態であるに違いない。

 

ソビエト連邦の崩壊、ベルリンの壁崩壊、近くはエジプト・リビアの「市民革命」も、ドルの信用失墜も、また然り……

 

ヒトはそう賢い生き物ではなさそうだ。

 

 

人類の歴史も、われわれの人生も、本質的には「想定外」の連続であり、その積み重ねであるともいえる。
そう考えることにも十分な意味があるが、これほど想定外が短期間に重なってくるということになれば、やはり大きな歴史の転換点としてとらえ直し、力及ばずとはいえそれなりにこのことを考えていくべきなのであろう。
以下いくつかの点について雑感を記す。

 

 

東北地方の復興再生について

焦眉の課題はここにある。東北太平洋沿岸の産業は今回の巨大地震—津波によって徹底的に破壊されてしまった。農林漁業、加工業、販売業、サービス業のいかんを問わず、これを再生しなくてはならない。その再生にあたっては単なる原状復帰ではなく、日本全体・世界全体のテーマでもある社会の基盤としての第一次産業と地域社会の理想的なあり方をここで実現していくことが望まれる。

 

もともと東北地方は「原日本」としての強力なエネルギーが潜在しているところと考えられる。ゼロからの再生にあたって従来のあり方(都市型産業への依存)を根本的に変え、一次産業主導の産業構造を徹底して考え抜き、実現していくべきだろう。

 

またもともと歴史的に繰り返し津波に襲われている事実に踏まえ、住居・生産設備の高台への移転、平地を食糧生産地帯として再配置していくことが必要と思われる。

 

東北地方を改めて自然環境と調和した小エネルギーの森林里山都市として位置づけ直し、創造的な加工生産業、知的産業を好条件で誘致し、さらに世界的な貿易拠点へ変貌させることなどにより、世界中に「あるべき社会の姿」を示していけるようにしたい。

 

東北の再生に、日本の未来、世界の未来がかかっていると考えよう。いま、想定すべきことはここにある。

 

 

原子力発電とエネルギー問題について

核分裂の制御については、根本的な欠陥があることが再び明らかになってしまった以上、凍結するのが当然の選択といえるだろう。またこれに依存したエネルギー政策の転換を何としても行わなくてはならない。原子力発電には多様な権益が絡み、これがネックとなって思い切った自然エネルギーへの転換が進まなかった経緯がある。ここを突き破るよいチャンスが来たと考えるべきであろう。

 

太陽光、バイオテクノロジー、風水力などの自然エネルギー利用を急速に進め、燃料電池・コジェネレーションなども合わせた自立自給型エネルギーシステムを一挙につくることにより、中央供給型・エネルギー浪費型の従来システムを根本的に変えていくことが望まれる。

 

 

経済のあり方を根本から考え直す

市場経済の拡大に依存し続けた挙句、実体のない「信用経済」の極点に至ってしまったのが日本を含む世界経済の現状である。

 

この巨大地震と原子力発電所の炉心溶融は日本経済のあり方への信用を大きく失墜させることは間違いない。ドルとユーロの破綻を下支えしてきた日本経済への幻想もこれで失われ、世界経済はいっそう混迷の度を深め、世界経済恐慌がいよいよ顕在化してくるだろう。日本の巨大地震とメルトダウンは、日本だけの問題でなく世界全体への警告であることに思いを馳せるべきである。

 

いわゆる「先進資本主義国」日本の再生は、そのまま今後の世界の進む道へのモデルとなる筈である。
日本経済の再生は、東北地方の再生から始まる。

 

ここで生み出されるであろう、ビジョンと目的を明確にした健全な国内需要による経済の再編創出こそが「実体なき経済」からの訣別を具体化していくと考えられる。

 

そのためには東北再生のビジョンを国・地方レベルで立案するとともに、各企業・個人がこれに積極的にコミットしていかねばならない。

 

何よりも壮大かつ見識ある再生ビジョンを持ち、何よりもまず現地へ……

 

 

いま必要とされるのは、個人の主体性である。

 

 

 

アトガキ

ここ10数年間、成果と言えるものはありはしませんが、「再生」ということに取り組んできました。森林の再生、農地の再生、地域の再生、ひいてはヒト(まず自分)や事業の再生……と。

 

いろいろやってきてみて思うのは、結局すべてのことは根っこでつながっていて、ヒトが「自然」というものをどうとらえているか、というところに落ち着くように思えます。

 

私が関わっている「ウィークエンド百姓学校」の校長・小倉 昇さんが「人間都合でない植物都合の農業を」と言っていますが、ここに立ち還ることですかね。還る、というのは、ムカシ農薬も化学肥料もなかった頃は、否が応でも作物やムシのご機嫌を伺わないと作物がとれなかった。もちろんそういう百姓ばかりではなかったわけですが、マシなヒトはそう思いながらやっていた、と。

 

かくいう私といえば、50歳近くまではそういうことに全く無自覚なモダニストでした。「自然」に多少目を見開かされたのはそれ以降、いまでも植物・動物についての知識など並以下の有様です。

 

ただ学生時代に読んだ哲学書の「ヒトもまた自然の一部である」の一句だけは妙にアタマから離れず、これがわずかな心の支えにはなっていましたが。

 

いろんなことがあって、今となってみれば自分の欠落部分を補うような形で自然(ヒトも含む)と絡むこととなってしまいました。ヒトは余りに自然のことを知らなすぎる、ということはヒトもまた自然であるわけですから、自分自身の「何をすべきか、どうなすべきか」を見失うことになるのでしょう。

 

私の世代ですと、薪がガスになる、オイルランプが電球に代わることの快感や驚きを少しは覚えています。
そこらあたりからどんどんそっちの方ばかりに走り出して、何とも歯止めがきかなくなってしまった。「カネ」さえあれば何でも手に入る、いくらでも便利になる、その先に「理想社会」がやってくる、筈だ……と。

 

私のやってきたのは「至って利きの悪いブレーキ」みたいなものでしょう。ブレーキをかけようと思ってきたものの、踏力も弱く、しかけも悪いから一向に利かない。これがモロモロの「再生」活動でしたかね。

 

今回の震災では思いっきり引っ叩かれたように思います。

 

ハンパな「再生」ではいけません。「再生」にはノスタルジーがまとわりつきますが、やはりそれではいかんでしょう。

 

いま、そんなことを考えているところです。

津波による被災現場や、メルトダウンしつつある原子力発電所の映像を見ながら。